◆2011/1/31社長ブログを更新しました。◆

(最後の授業 編)

先日久々に母校に行ってきました。
なぜならば 私の学生時代に学んだゼミの教授による「最終講義」が
あったからです。

 私のゼミ学生時代、先生は(失礼な言い方をすれば) 早稲田の大学院を
出られて数年の「新米講師」でおられたのですが、私たち学生と年齢も
近いこともあり、大変親しくお付き合いをしていただきました。
お互いに乗り物や旅行が好きでしたのでゼミ仲間と一緒に旅行も楽しみ
ましたし、先生の講義が「唯一まじめに勉強した授業」であったと同時に、
研究室をたまり場にして色々な仲間や先輩後輩と知り合い、「なにか学生
らしい時間」を過ごした期間だったと思います。

 その先生が「助教授」になられた。「教授になられた」その後、
「えっ学生部長になったの?・・どんどん偉くなるな」など友人からの便りで
聞いていたのですが、今年の年賀状に「退官します・・最終講義に来てくだ
さい」という案内をいただいた時、年の経つ事の早さを感じると共に「久々に
あの大教室で先生の講義と声を聞こうか・・」と思い、講義も公開だったので
聴講させてもらった次第です。

 先生とは数年単位でお会いしたりしているのですが、母校の教室に入る
のは多分34年ぶりだと思います。
改めて先生に挨拶をし、教室に入りました。最終講義は当時と同じ建物で
同じ雰囲気の中規模教室でした。でも今の大学はすごいんですね。
200人くらい入れる部屋でしょうか。寒い日でしたが暖房は教室の隅々まで
行き届き、なんと後ろ席の為に大きなプラズマテレビが前方の教壇と黒板を
映して天井からぶら下がっている。先生もPCを使いながらの講義です。
(今は当たり前なのですかね?)
時代の移り変わりに驚いた次第です。(34年も経ってますから)

 最終講義は現役の学生はもとより、沢山の卒業生や学会関係の方が聴講され
満席の中、プロジェクターなど私たちの時代には決してなかったその近代的
な設備を十分生かし、私自身も少しの緊張感と共に有意義な90分を過ごしました。

0131PC.jpg

 

 

 

 

 

 

 (最終講義の教室)

 

 

私自身が学生時代・・・私自身は成績で先生を悩ますだけの普通の学生だったと
思ってますが、当時はまだ学生運動は下火になっていたものの、学内では常に
「アジ演説(我々わぁ~!・・日本政府をぉ~~!・・というやつです。)」が響いて
いましたし、そこら中に左右思想におかされた学生がおりました。
しかしながら元々バンカラ気質の大学であり、人に言わすと私自身、「○○会
なんちゃら」の「情宣部長」などをして学内を「闊歩」していましたから比較的硬派の
学生だったようです。
 こんなことを話せば私の出身母校がばれますが、当時から今でも西日本一の
のマンモス大学(言い方が古い)です。

当時は「(ポ●)(近)(●ン)」と揶揄され、決して優秀な学生ばかりの大学ではあり
ませんでした。しかしながら近年は「関関同立」「産(◆)甲龍」と言われる関西の
有力私大の一角をなすようになったのは私の喜びでもあります。
つい先日の新聞に「関西の社長で一番多くの社長を輩出した大学」との記事が
載っていましたが、その元来のバンカラ気質がベースにあるのか闊達な上昇志向
の気質を持つ学生が多いことは今も昔も事実だと思います。
(でも歴史も長く学生数が一番多いということは卒業生も一番多い訳ですから、
考えてみれば社長になる人数も一番多い・・?「あたりまえやないか・・」とも
自身思っているのですが)

構内は私どもが学生であった時代以上に一大ビル群のキャンパスになっており、
生駒山系をバックに緑も多くなっていました。さらには当時に比べ女子学生が
大幅に増えたからなのか、または古い校舎の建て替えやリニューアルされたせい
なのかわかりませんが 今風の明るく垢ぬけたキャンパスに変貌しておりました。

 駅から大学正門まで伸びる通称「大学通り」も久々に歩きました。
今でも多くの学生が行き来するからでしょうか。近年の不況の象徴である「シャッター
商店街」が多い中、休講が多いはずの土曜日にも拘わらず、相変わらず賑わって
います。
 でも時代の移り変わりは私たちのマーチャンダイジングと同じく、商店街は完ぺき
に時代即応に変化を遂げていました。
駅前にあった2軒の「パチンコ屋(休講の合間にいつも通った)」や「3本立て900円の
映画館(当時のピンク映画主体、時々行きました)」は無くなり、通りに数多くあった
「マージャン屋(1時間100円くらいのジャン代。1000点3円くらいで・・負けてスッテンテン
になり、家に帰れなかった記憶)」も数軒を残すのみ。

 今でも学生は教科書を売ったり買ったりするのでしょうか・・当時からあった「古本屋」
は健在でしたが、2軒の大きな「本屋」は全くありません。「大学通りに本屋が無い!」
「喫茶店」も数えるほど。当時お世話になった「うどんや」「定食屋」はなんとかそのまま
の風情を保っていますが、大学構内の「腹だけを満腹にする(学食)」はモダンなレストラン
(街?)に変貌しています。
 そして今あるのがおしゃれな「ヘアーサロン」「エステサロン」「コインランドリー」「コイン
パーキング」「ゲーゼン」本当に様変わりです。
まさに浦島太郎状態です。

 こんなこと(昔ばなし)を話すと「白髪の増えた、え~年のオヤジが赤いギンガムチェック
のシャツ着て・・」と冷やかされる私の人格も、この変貌と共にそろそろ「旧人類」「化石」の
域に入ってきたのでしょうか。
「いや、まだまだ若い」と ちょっと複雑な気分で書いています。
 

◆2011/1/25社長ブログを更新しました。◆

 一週間前にITALY出張から帰国しました。
エルニーニョ現象はよくわからないのですが、年末からの東アジアを覆う大寒波とは反対に
比較的温暖(といっても冬ですが)な気候でした。今年は「ヨーロッパも寒い!」という
情報からPatagoniaのフリースの上着を年明けに買って出掛けたのですが肩すかしでした。
 感想は・・?
今回はFirenzeのPitti UomoもあったのでMen's中心の出張でしたが、どこもかしこも
マフラースカーフ・ストールを作り始めている。
 Lady'sのマーケットでは「巻物」の終焉かも・・と言われているのに、Men'sの世界は
ますますカジュアル化が進み大判ストールの拡大がますます顕著(too much)です。
 あ~あ..また私どものマーケットが世界中の服飾業界から攻め込まれる様相です。
これをマーケットの拡大のチャンスと見るか 混乱と見るか・・
今から20年くらい前まで、日本の「首周り業界」はMen'sの「ネクタイ業界」と共に私ども
の様な「マフラー屋」と称する織物・ニットのメーカー群と「スカーフ屋」と称する、
プリントを中心とするメーカー群がありました。
しかしながらバブルが終わって縮小均衡経済に入ると商品の相互乗り入れが始まり、今は
その双方がマフラースカーフの生産を始めました。
 そして国内産地の衰退と共に生産が海外に移転するに従いますますその傾向は拡大し、
海外メーカーの日本売りこみなどが加速度的に進んだ結果、デフレの日本に適合したのか
どうかわかりませんが、Lady's業界を中心に価格帯大幅に下落しました。
私どももその一端に参画していた訳ですがそういう努力の甲斐あって生き延びてきました。
 しかしヨーロッパ、特にイタリアでは職人技を駆使したfamily企業が専門分野でつい最近まで
頑なに業界をリードしてきた世界でした。しかしながら今やその世界もサバイバルがますます
激しく、業界は商品ボーダレスに突入し、ネクタイ屋・ベルト屋・アパレル・手袋屋・帽子屋
がマフラーストール作り始めている。
 理由は一つ=専門商品だけででは会社が維持できなくなってきているから。
売れる商品をイタリアならではのファッションセンスという武器で開発を始めている。
(高感度・高付加価値商品です) 日本も同様。Men's業界はLady'sに比べ緩やかでしたが、
突然に来る・・すでに襲来・・という感じです。
いくらファッションだ云々だ・・といってもMen'sの世界では「防寒」要素の強かった
マフラーストールですが、完全にファッションの分野に突入しました。
 東京I百貨店のMens館、大阪のH百貨店のMens館ができ、年明けのニュースでは有楽町の
H百貨店も「Mens仕様」に衣替えするらしいです。男がどんどん「おしゃれ」になってゆく。
 さらに川上ではメーカーの垣根がなくなり専門屋が減る。
商品の相互乗り入れが過去のLady'sと同様、Men'sの世界にも波及してくる予感。
・・いや実感・・私たちの業界のMen'sマーケット戦略
は重要です。5年先の「発展」か「地獄」か・・大変な節目と思います。
 
それにしてもどうしてイタリア人はこんなにうまく着こなすのでしょうか。
いつもこちらに来て思うのですが「田舎のおっちゃん」でも本当にうまく着こなしている。
「どうしてそうすぐに流行をとりいれたファッションができるの?」という感じです。
 基本は流行の細身のジャケットにチーフをし、細身のパンツとスエードの靴を履く姿が今の
ファッション。これを少しカジュアルに崩してダウンベストを着る。そしてプラス、Men'sは
薄手・大判のストールを(大きく)巻く 帽子かぶる・・等 
流行の小物をどんどん足せばファッション感度が今風に仕上がっていく、今まさに小物雑貨で
着こなす時代です。
 

◆2011/1/11社長ブログを更新しました。◆

(一つ目の話し=ITALY出張)
 新年があけて今日はすでに9日、本格的に2011年の仕事がスタートしました。
今、関空からAFでパリに向かう機中で「作家気分」で更新ブログの原稿をかいております。
年2回は必ずイタリア出張しますが今回もコモとフィレンツェ界隈を回ります。
フライトはパリで乗り継ぎ、その同日にミラノリナーテ空港まで入ります。
そこからTAXIで約1時間余り、多分COMO到着は離陸から18時間~19時間後の現地深夜に
なると思います。
 
(二つ目の話し=今年の“激”)
 お正月のTVですが「不況日本」「縮小日本」「内向き日本」を憂う論客による経済と
政治討論ばかり見ていました。いつもこういう類の番組を見ていて思うのですが、彼らも
もう少しポジティブに話すか、ディレクターや司会者も「明るい話題に振る」討論構成が
できないのかと思います。
日本人は自虐的に考える人種ですからネガティブ展開のほうが視聴者に受けるのでしょうか?
ネガティブ論者ばかりのディベートで「次の手が打てていない日本」などといっても
「で、あなたは本当にどうなの?・・」「何がよいと思うの?・・・」に対する答えまでも
ネガティブなのです。
論客や政府への非難合戦です。
 「所詮評論家は政府官僚や企業経営者と違い、施策・事業の実行者ではないし・・
振り出した手形が「デフォルテ」になろうが責任はないもんな・・・」などと「ぼやきを
やめよう」と決めた新年でしたが彼らを評論しながらまたボヤいておりました。
 でも 新鮮な発見もありました。いや、今まで十分わかっているはずでしたが、
わかっていても明確にうまく表現する文章や 説明する人がいなかったのでしょうか・・
もしくは私に正確な理解力がなかった。
下記2つが 現状の波を乗り越える大変なヒントに思い新年の社内の「檄」につかわせて
もらいました。

一つはある銀行マンの話し
「日本は不況ではない」 内需喚起内需喚起というが・・
「購買人口が減っているだけ」少子高齢化によって 
生産購買人口(20~60歳まで)の人口はバブル期の
1990年より30%以上少ない。給与を取り買う人が減って
いるマーケットでは消費が減ってあたりまえ。
ビジネスは購買層があるところに・・消費があるところに売る。
内向き日本より外向き日本。海外により活路を。
大手に限らず中小零細も活路は元気なアジア圏やBRICsなど
消費が伸びている地域は沢山ある。 

もう一つは元日の日経新聞
日本の国内の乗用車販売は90年より40%減って300万台になる。
ではどこで彼らは稼いでいるのか・・海外へ売って 海外で作って
利益の国内還流だ。日産は付加価値の低いマーチの生産をタイに
移した。日本では付加価値の低い大衆車はつくれない。でもそれを
作っていた追浜工場は付加価値のある「電気自動車リーフ」の量産
を始めた。
製造業はグローバル市場で稼ぎ富を国内に還流させる・・
  
(三つ目の話し=おみくじ)
 話しはコロっとかわりますが 初詣のおみくじは 2日にお参りした神社は「大吉」、
仕事初日、会社近くの神社では「中吉」。私はその年の手帳に常に初詣のおみくじを
貼り付けているのですが、ず~とこの数年「小吉」「末吉」ばかりでしたので私にとっては
久々の「大吉」・・ということで 単純な私のマインドをあと押ししてくれています。

(四つ目の話し=自損事故)
私は奈良に住んでいます。大阪との県境にある生駒山の裏側です。静かで交通至便で
住環境としては良いのですが、何しろ冬が寒い。モンスーン気候の大阪とは必ず最低気温が
2~4℃違います。天気予報で「山沿い にわか雨、もしくは にわか雪があるでしょう」と
あれば絶対にそのとおりになるエリアです。
 昨年の話しで恐縮です。普段は仕事場との間を電車で通っているのですが、仕事納めも
すでに終わった30日の夜 会社で最後の片付けをした後、車をとばして自宅に向かって
いました。ルートは阪神高速~外環状から阪奈道路へ入っての「山越え」です。
 第2阪奈という自動車専用の生駒山をぶち抜く高速道路もあるのですが、その通行料
800円をケチって(なぜかETCの割引もない)いつも山越えの道を往復とも選んでいます。
この日は年末年始寒波到来の1日目 大変寒い日でした。阪神高速を降りたあたりからみぞれ
混じりの小雨が降り始め、そしてそれは阪奈道路を上がり始めたころには小雪に変ってました。
さらに雪は その後奈良県境で下りに入るころにはあたり一面真っ白になり、対向4車線の
道路は走行跡の黒いアスファルトは見えるものの、アイスバーン状態。
ちょっと危険かな・・と思い、ギヤをセカンドまで落とし時速25~30kmを超えない
程度にエンジンブレーキを利かせながらゆっくり走るようにしました。
 私は 10年くらい前までは冬場はよく車でスキーに出かけてましたので、多少なりとも
雪道走行のテクニックに自信もありました。しかしこの大雪、スタッドレスタイヤでもないし、
チェーンの持ち合わせもない。道は下り、アイスバーン、夜間走行・・ちょっとシリアスに
なりかけた瞬間でした。「スリップ!!!!!」 車は走行車線から追い越し車線、そして
路肩へ・・右へ左へ楕円を描くように勝手に動いてくれます。
スリップの際の鉄則「ハンドルはスリップした側と反対方向には絶対切らない・・」など
わかっていてもできるはずがありません。まさにダッチロール状態。「ドン!」「クシャ!」
と路肩の灌木(・・と思います)ぶつかりその反動で車線に戻ったときようやく正常走行に
戻ってくれました。
 まさしく顔面蒼白、多分車内では 大きなわめき声をあげていたと思います。落ち着いた
時は口が「からから」状態でした。幸いかな対向車もなく、前後の車間も空いていたので
自損で済んだようです。
車の破損状態を見たかったのですが、いま路肩駐車すれば はたしてこのアイスバーン状況
の中、まともに停められるまれるかという不安、そして駐車が出来ても、はたして再発進
がこの状況下において可能かどうかという不安も持ち上げ、とりあえずこの地獄の阪奈峠
越えを強行突破することにしました。
私は運転しながら自宅へのいくつかのルートを考えていました。「あの道をゆけばあそこに
上り坂がある・・スリップ?」「あの道は平坦だが細くて走行車が少ないのでこの雪では
より危険だ」などいろいろ考え、坂道はあっても多分車が多く雪も解けているであろう推測
ができる道を選びました。
そして何とか命からがら(ちょっと大げさですが)自宅のガレージに車を入れることが出来
ました。
 
 私は年齢不相応な車(・・と人はいいます)「日産シルビア」にこの10年乗っております。
無事故です。(検挙=違反は何度もあります。なにしろスピードがでるのです
今回の事故はまさしくその車で起こしました。
そんな車(車に詳しくない人のために・・「シルビア」=暴走族『命』のスポーツカー、一世風靡した車です
ですから時々並行して走る「若いアンチャントライバー」の競争心をあおってしまい、
またそれに勝負をかける「中年ドライバー」の私なのですが、その愛車「シルビア」は
左前照部全破損、左方前部バンパー大破という「重傷」を負っておりました。
この20年来修理に出すような事故らしい事故などした事のない私なので 今回は支払い続け
ているばかりの「保険」を十分に活用させていただくことにしました。
早速、帰宅後すぐに保険会社に電話したところ、さすが「おもてなし日本」「世界一の
サービス先進国」です。年末の夜九時過ぎにもかかわらず丁寧な対応。(ちなみに保険会社
は外資系です)翌31日に提携修理工場から「代車とともに人を寄こします。」ということ
で翌日から即入院となりました。 私の車は2週間の予定で現在も治療中であります。
 かくして自宅のガレージには「passo」というベージュピンクの女の子用の可愛い「代車」
が今も「お泊り中」です。
 

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